人形町ぶらり と 神楽坂ぶらり

らもす・・・かあちゃん、ここにいるぞっ!

もういっちょ

らもす・・・かあちゃん、あっちにもいったぞっ!

下町情緒の残る街・・・人形町
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江戸時代、堺町と葺屋町が現在の日本橋人形町三丁目の人形町通り西側にあり、
歌舞伎小屋の中村座と市村座があった。
また、薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居(結城座)も行われていた。
一般には人形遣いが多く住んでいたから人形町と名付けられたとされている。
江戸時代においては、人形町は通りの名で大坂町、島町、住吉町、和泉町、堺町、芳町がこの通りに面していたが、
1933年(昭和8年)に正式にこれらの町名が「人形町」という町名に変更された。
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江戸時代初期には、遊郭で有名な吉原(元吉原)が人形町通り東側の辺りにあった。
「大門通り」はその名残である。
1657年(明暦3年)1月の明暦の大火(振り袖火事)で辺り一帯が焼失した事を機会に、幕府の命で遊郭は浅草寺裏の日本堤付近に移転した(新吉原)。
そうなんだって・・・(Wikipediaより)

あべちゃんが何処かで見ているかも?・・・探してしまうかあちゃんだった。
(ドラマ「新参者」を観てた人にしかわからない 笑)
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そして・・・
一見さんお断りの花街が路地に残る街・・・神楽坂
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神楽坂付近は、大正時代に隆盛を誇った花街で、
飯田橋駅を背にした坂の右手に残る花街特有の路地は、日本でもここにしかないといわれている。また関東大震災以後は、日本橋・銀座方面より商人が流入し、夜店が盛んになった。
山の手銀座と言われた時期はこの時で、林芙美子や、矢田津世子の小説にも登場する。
坂沿いには商店街が立ち並び、瀬戸物屋・和菓子屋など和を思わせるお店が中心であったが、
2003年以後特にチェーン店やコンビニの進出が目立ち、
それとともに、夏目漱石の通った田原屋などの老舗が急速に減少しつつある。
また周辺の住宅街でも次々にマンションが建設されており、昔からの風情は失われていっている。
そうなんだって・・・(こちらもWikipediaより)
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近代的な高層マンションを見上げながら、
路地に佇む猫は何を想う・・・
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ぽっと頬をピンクに染めて、可愛くなる しづちゃん
酔ったしづちゃんを初めてみました。
そんな色っぽいしづちゃんの隣りには
ヨダレじゅるじゅるのオヤジねえさん。
これぞっ!神楽坂デート。(?)

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渋谷より、原宿より、
わたしゃ~~~
人形町や神楽坂や浅草の方が好きだあああ!
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by loveletterjunkone | 2010-10-27 01:33 | おかあさんのこと